日本の心と桜

幸せをつかむには

今年も、春爛漫という言葉がぴったりなほど、桜が咲き誇る季節となりました。

青空が広がると、淡いピンク色の桜が、一層際立ちます。

美しい桜を見ていると、日本に生まれてくることができて、本当に良かったと、しみじみ実感いたします。

日本人は古来より、桜の美しさ、可憐さに心惹かれ、春の訪れを告げる神や精霊が宿る存在、と考えたり、一番美しい姿のままで、散っていく桜のように、命が散るまで、美しく輝き、成長を続けたい、散ってから後悔しないしないように生きたいと、死生観を考える対象となってきました。

桜の花を眺めていると、心豊かになり、穏やかな気持ちになります。

さくらのさは、稲の精霊、くらは稲の精霊が降臨する場所を指す古語で、この二つが組み合わさって、さくらとなったと考えられております。

桜は、豊作をもたらす、田んぼの神様が宿る木なのですね。

また、日本書紀や古事記伝に登場する神様「木花咲耶姫」(このはなさくやひめ)が富士山の上空から桜の種を蒔き、花を咲かせたという逸話があり、その「さくや」から、「さくら」に変化したものとも言われています。

桜は、神秘的な花でもありますね。

桜の美しさを、江戸時代の国学者、医師である本居宣長は歌にされました。

敷島の大和心を人問わば、朝日に匂う山桜花

大和心とは何かと尋ねられたら、朝日に輝く山桜の花のように、美しいものであると言う事、日本人の心とは、山桜の花の美しさを知る、その麗しさに感動する、そのような心と歌われました。

この方は、日本人は古来からある大和心を大切にして、日本固有の山桜の、純粋で、美しく、謙虚な心を持ちなさいと、後世の私達にも伝えてくださいました。

昔の日本は、さくらの語源にもありますように、精霊、神話、神社仏閣を、大事にしていたようです。

ただ勉強し、教養をつけたりするだけでは、得られないものがあり、理性の先に優しい気持ちと、肩の力を抜いた自然な草花や、同じに並んだ一つの存在としてある人間の姿、そこに日本人の心の美しさと強さが、秘められているような気がします。

日本人の自分の国を愛する純粋な気持ちが、大和心であり、それは、自分のことよりも人様のこと、自分のことよりも、国や世間を大事にする国民性を言うのだと思います。

また、吉田松陰も「かくすれば、かくなるものと、知りながら、やむにやまれぬ、大和魂」という名言を残されております。

こうすれば、こうなると、わかっていながら、やらずにいられず行動した、それが、日本人の魂だと。

この方は、日本の未来を憂い、日本を守るために、重罪と知っていて、外国船に乗り込みました。

損ばかりで、何のメリットもないけど、やらなければいけない、人のため、道のため、そのために我が身を尽くす、忠義の精神が、日本の心の原点にあったようです。

日本のために、見事に散ろうとする大和魂を、山桜の、ひらひらと散りゆく姿に、また清廉で、果敢な姿、謀のない、ありのままの姿に、重ね合わせた思いがつたわってまいります。

本当に、日本は景色も美しいながら、心の美しい国民性があるのでしょうね。

今、その大和心が、覆い隠されてしまい、外からの文化受け入れて、本当の日本らしさを、見失ってしまったのではないかと、思うところがあります。

もう一度、たくさんの人の、日本を愛する心をひとつにして、美しい心、美しい国を復活させたいと思うのは、私だけではないと思います。

神の恵み、周りの方々への恩を忘れず、感謝して、清らかな気持ちを大切にしていけば、美しい日本が蘇ってくると思います。

私達日本人の心には、人を思いやり尊重する気持ち、この大和心が、根付いていると信じています。

一人一人が、自分の心の声を聞き、目覚めていくことで、調和された世界が広がっていくことでしょう。

そして、人々の悩み苦しんでいる心が癒されて、幸せな人生を送る方が増えていくことを、心からお祈りしたいと思っております。

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